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浦和地方裁判所熊谷支部 昭和45年(わ)139号 判決

被告人 中島充

昭二二・六・二二生 板前見習

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実は、

被告人は、昭和四四年九月ころ、中野はる子(当一九年)と知りあい、同年一〇月ころから同棲し、同年一一月群馬県邑楽郡大泉町大字坂田四八四番地飲食店四季(経営者赤石斐子)に板前見習として、右はる子は、同番地バーハレム(経営者右同人)にホステスとしてそれぞれ勤め、そのころ、同町大字坂田四〇二番地赤石茂方に引越し同棲していたものであるが、はる子は、勝気、かつわがままで、被告人に対し何かにつけて逆らう性格であつたことと、被告人が短気であつたことから、両名の間には喧嘩口論が絶えなかつたところ、昭和四五年五月九日はる子が実家に行く際被告人が同女に対し、バーハレムに出勤できないときは、その旨電話をするよう告げたにもかかわらず、無断で欠勤し、前記赤石斐子に謝らなければならなかつたこと、同女が、同夜は同県太田市下浜田一三五一番地杉浦千枝子方に宿泊し、翌一〇日も帰宅しなかつたこと、および、同月九日同市新島町二二番地小野恵子がはる子のドレス代金の支払い方を右赤石斐子に直接請求したことなどから、はる子に対し、かねてから心良く思つていなかつた被告人は、はる子の右のような態度に憤慨し、同月一一日午前七時ころ、渡辺四郎とともに乗用自動車で前記杉浦千枝子方に赴き、はる子の所在をたしかめ、右千枝子を介し、起きて来るよう伝えたが、はる子はこれに応じなかつたため立腹し、同家の寝室に至り横臥していた同女に対し、「起きろ」と言いながら背後から二回足蹴にしたうえ、同女を乗用自動車後部座席に乗せてその横に腰かけ、前記渡辺四郎に運転発進させ、同女に対し、「九日の晩はどこに泊つたのか」とたずねたところ、同女は「おばさんの家へ泊つた」と嘘を言つたことから被告人は極度に憤慨し、手拳で同女の顔面を二、三回殴打し、右車内にあつたガラス製灰皿を下向きになつていた同女の後頭部に投げつけ負傷出血させ、さらに「この野郎」と言いながら、同女の左足腿下部あたりを約二回ぐらい蹴とばしたが気が納まらず、利根川の水で同女の頭を冷やさせてやろうと考え、同女に対し、「謝まつてもすむことではねえんだからなあ」「利根川へ行つて頭を冷やして来い」と申向け、同日午前七時三〇分ころ、埼玉県大里郡妻沼町大字小島一八七九番地先利根川左岸に連行し、被告人は、当時前夜来の降雨のため増水し、水が濁り流れも早くなつているので、利根川内にはる子が入れば溺死する危険性が大であることを認識していたが、前記のとおり同女に対する極度の憤慨から同女が溺死することも意にかいせず、かつ、かねてより被告人の凶暴な性格を知つている同女が前記のとおり被告人より暴行を受け、被告人に逆らうことはできない状態にあつたのに乗じ、強いて利根川内に入り頭を冷やすよう要求し、同女をして、止むなく同日午前七時四〇分ころ、前記場所附近から利根川内に入らしめ、因つて、そのころ同所附近の水中において溺死するに至らしめて同人を殺害したものである。

というにある。

二、審理の結果によれば、公訴事実記載の如き経緯で被告人が中野はる子を前記利根川左岸へ連行したこと、同所で利根川に入つたはる子が流されてしまい溺死したことは認められる。しかし被告人が同女を殺害しようとして川に入らせ死亡させたとの点については、その証拠が不十分であつてこれを認定することができないものである。

以下これについてその理由を詳細に述べることとする。

三、まず、本件発生の経緯および発生状況等につき証拠により検討するに、(証拠略)を総合すると次の事実が認められる。即ち、被告人は昭和四四年九月頃、中野はる子(一九年)と知り合い同棲するに至り、同年一一月頃から被告人は群馬県邑楽郡大泉町大字坂田四八四番地飲食店「四季」(経営者赤石斐子)に板前見習として、右はる子は同番地バー「ハレム」(経営者右同人)にホステスとしてそれぞれ勤めるようになり、その頃同所四〇二番地赤石茂方に引越しをし、以来同所で同棲していた。しかし、はる子は勝気かつわがままで何かにつけて被告人に逆らう性格であつた一方、被告人が短気であつたことなどから両名の間には喧嘩口論が絶えなかつたところ、昭和四五年五月九日夜、はる子が実家へドライヤー等を取りに行つたまま無断でバー「ハレム」を欠勤してしまつたため、被告人が前記赤石斐子にそのことで謝らなければならなかつたことがあつたうえ、はる子はその夜「ハレム」の同僚ホステスである太田市下浜田一、三五一番地の一杉浦千枝子方に宿泊してしまつて帰宅せず、翌一〇日も夜になつても帰宅しなかつた。これに加えて、はる子がドレスの代金支払を滞つていたことで、同月九日右「ハレム」の経営者赤石斐子に直接支払の請求があつたため、被告人がばつの悪い思いをしたことがあつたりしたため、被告人は同女に対する腹立たしい気持を募らせていた。

そして被告人は、同月一〇日夜になつてもはる子が帰宅しなかつたので、午後九時半頃タクシーで、前記「四季」の板前をしている太田市本町三一の一八渡辺四郎(当二四年)方に至り、同夜は同人と共に夜通し太田市内の飲食店等を飲み歩いた末、翌一一日午前六時頃、友達の同市別所四六一番地茂木良三方に赴き、同人から普通乗用自動車を借り受け、これに右渡辺と共に乗車して、同日午前七時頃、はる子が宿泊していると考えた前記杉浦千枝子方に至つた。

そして、同人方前に駐車し、渡辺をして同女を呼びに行かせたが、同女が寝ていて起きて来なかつたため前記のようないきさつもあつて憤慨し、同女の寝ていた部屋に行き、寝ている同女に対し布団の上から蹴つたりして起こしたのち、同女に身仕度をさせて連れ出し、前記自動車後部座席に乗車させ、自己も後部座席に乗り、渡辺に運転発進させて付近を走行中、はる子に「九日の晩はどこに泊つたのか」と問い正したところ、同女が「おばさんの家へ泊つた」とふてくされたように嘘と思われる答をしたため激昂して、同女の顔面を手拳で二、三回殴打し、更に同車内にあつたガラス製灰皿(昭和四五年押第二九号の1)を同女の後頭部へ投げつけ裂創を負わせたが、そののち、九日の晩はる子が杉浦千枝子方へ泊つたことを更に確認すべく同人方へ再び行き、千枝子を右自動車に乗せて発車したが、やがて九日の晩におばさんの家に泊つたとのことが嘘であることがいよいよ明らかになつたので、被告人は一層憤慨し、はる子に対し「謝つてすむことじやあねえんだからな、利根川に行つて頭を冷やして来い」等と申し向け、運転していた渡辺に被告人が道順を指示して同日午前七時三〇分頃、埼玉県大里郡妻沼町大字小島一、八七九番地先の利根川左岸に至り、川の流れからおおよそ四〇メートル位離れた所に停車した。

そこで、被告人ははる子に対し「降りろ」と言つて下車させ、渡辺や千枝子に対し、カーステレオのスイツチを入れたうえ、「ステレオでも聞いていてくれ」と申し向け、その後、被告人とはる子は、はる子が先に立つて二人とも無言でゆるい坂を下つて歩き、はる子は川から数メートル手前でサンダル(同号の3)をぬぎ川に入つた。当時、利根川は前夜来の雨のため水が濁り、水量も普段より多い状況であつた。同女の後から歩いて行つた被告人は同女がサンダルをぬいだあたりまで行つて立ちどまり、膝の下あたりまで水に入つている同女に対し「じやあ行つてこいな」と言つて、後をみずに歩いて引きかえし、川からおおよそ三〇メートル位離れた土手の上の自動車の附近まで戻り、振りかえつてみると、同女が先ほど川に入つたところから約七、八メートル下流の岸から約三、四メートルの川の中を胸位まで水につかつて流されており、「しーちやん助けて」などと助けをもとめていた。それを見て被告人は附近にあつたこぶし大の石を二個同女の流れている方へ向けて投げた。渡辺は被告人が石を拾うのをみて自動車から降りたところ、はる子が助けをもとめて流されていたが、水泳ができないところからやがて水に没してしまい、同女はその頃同所附近の水中で溺死した。

その後、被告人は渡辺に手伝わせて、同女の死が自殺であるように装うため、ハンドバツク(同号の2)や紙袋など車内にあつた同女の持物を、同女がサンダルをぬいでおいた場所へ持つて行つて並べたのちその場を立去つたが、被告人は帰りの車中で渡辺、千枝子の両名に対し、「一人殺すも、二人殺すも同じことだ、はる子は牛沢の十字路で降ろしたことにしてくれ」等と申し向け、同人らに口止めし、偽りの供述をするように要求した。

以上の事実が認められる。

四、そこで、右の事実をもとに、前掲証拠にもとづき被告人がはる子に対し、殺意をもつて川に入ることを要求したものであるかにつき検討する。この点につき被告人は(証拠略)において、はる子に川に入るように要求したのは、はる子にそうさせることにより謝罪の気持を形であらわさせようと思つたからであり、同女がおぼれるような深い所まで入つてゆくとは考えなかつた旨述べて、殺意を否認しているものである。したがつて、被告人に殺意があつたかどうかについては、本件発生時およびその前後の被告人の言動等にもとづいて判断する外ないといわねばならない。

(1)動機について

まず、被告人においてはる子を殺害すべき動機があつたか否かについてみるに、前記認定の利根川に至るまでの経緯に照らしても、また本件全証拠によつても、殺人の動機になると認められるような重大な事情は認めがたい。

もつとも、被告人とはる子との間には同棲以来喧嘩口論が絶えず、本件発生の当日も被告人ははる子の言動に憤慨して同女に暴行を加えた末、利根川に連行したことは前記認定のとおりであるが、これらをもつて被告人が殺意をいだく動機になつたとは直ちに解しがたい。

(2)  利根川に至るまでの状況について

被告人がはる子を利根川左岸に連れて行つた状況は前記のとおりであるが、その間の被告人の言動には、同人がはる子に殺意を抱いていたことを推測させるものはみあたらない。却つて、被告人が渡辺、千枝子の両名を利根川まで連れて行つていることは少なくとも被告人が同所に至るまでの間には殺意をもつていなかつたことを推測させるのではなかろうか。けだし、被告人が殺意を抱いていたとするならば、わざわざ二名も目撃者になる者を連れて犯行現場に赴いたことになり不自然といわなければならないからである。

(3)  はる子が利根川に入つた状況について

(イ)  はる子が利根川に入つた際の同女および被告人の言動は前記のとおりである。即ち、川岸に到着後、被告人ははる子に対し「降りろ」と申し向け、同女はこれに従つて下車したのち、被告人に先立つて歩き、水辺から数メートル位手前まで至り、そこへサンダルを脱いで川の中へ膝の下位まで入つた、一方被告人は同女がサンダルをぬいだあたりまで行つて、右のように川に入つた同女に対し、「じやあ行つてこいな」と言つて土手の上に歩いて戻り振りかえつたところ、同女が助けを求めながら流されていたというものである。そして、前掲証拠その他本件全証拠によつても、自動車で利根川左岸到着後、被告人がはる子に対し川に入らせるため暴行を加え、あるいは脅迫した事実やその他はる子を川に入らせるために積極的に行動した事実は認められない。

つまり、はる子が川に入つた際の被告人の言動には被告人がはる子に対し未必的にでも殺意をいだいていたことを推測させるようなものは存しないといわなければならない。

(ロ)  では、当時はる子はどのような気持で川に入つたのであろうか。無論自ら進んで入つたのではなく、被告人の要求により止むを得ず入つたのであるが、同女は川に入れば死に至るであろうことを認識しながらもなお川に入つたのであろうかどうか。前記の入水時の状況からみて、当時はる子が死を予見しながらも川に入らざるを得ないような絶対的強制下にあつた、つまり行動の自由を失つた状態にあつたとは考えられない。既述したところや前掲証拠を合わせ考えると、同女は、被告人が同女が川に入らなければ許してくれないと考え、水が濁り、増水していたとはいえ、自分がおぼれるとは考えずに入つたところ、予期に反して足をさらわれ泳ぎができなかつたため流されてしまつたと解すべきではなかろうか。

そうであれば、右に照し、被告人が前記の如くはる子がおぼれるほど深く入つて行くと思わなかつた旨述べているところも一概に排斥できないといわなければならない。

(被告人は前記の「じやあ行つてこいな」と言つたことについては、頭を冷やせとの意味で言つたと当公判廷でのべており、これも理解できないではない)

(4)  被告人の投石行為について

(イ)  被告人が助けを求めつつ流されて行くはる子に向けて石を投げたことは前記のとおりである。もつとも、この点につき被告人は投石の事実は認めているが、投石したのははる子が沈んでしまつた後であると述べている。しかし、証人渡辺四郎の供述により、二回投げたうち、少なくとも一回は同女が沈む前に、流れている同女の方に向けて投石したと認めるのが相当である。

そうすると、この投石の事実は、被告人がその時点においては、はる子を救助する意思を有しなかつたのみならず、同女が死に至ることを期待していたからこそ投石行為に及んだのではないかと疑がわせるものである。

(ロ)  しかし、被告人は当時の自己の気持について、「みどり(はる子のバー「ハレム」での呼び名)が流されているのをみたときの私は、助けに行こうという気持と、足手まと居がいなくなればせいせいするという二つの気持がありましたが、さつき話したようにみどりに対しては憎い気持が強かつたので助けに行かなかつたのです」(昭和四五年五月二一日付司法警察員に対する供述調書)、「そのときの私の気持は前の調べのとき話したとおりで、助けには行かず車の傍らに居た渡辺に助けてやつてくれと頼んだのですが、渡辺も助けに行かなかつたので、やけつぱちな気分になつて、車の前のあたりにあつたげん骨位の大きさの石を二つ拾つてみどりの方へ向つて投げつけたのです」(同月二七日付司法警察員に対する供述調書)、「自分は泳げないし、渡辺も助けに行かないので悔しいというか、それより情けなくなつて投げたわけです」(当公判廷)等と述べており、その述べるところも、全く理解できないものではない。(なお、被告人は右のように渡辺に助けに行くことを頼んだと供述しているが、証人渡辺四郎は頼まれた記憶がないと述べており、右救助を頼んだ事実の有無については疑問があるが、被告人が救助を頼んだことがなかつたと断定することはできない。)

そして、これら被告人の述べるところをも合わせ考えると被告人がはる子の死を望んだ故に投石したとは断定しがたいといわねばならない。

(ハ)  また仮りに、被告人が投石に際しはる子の死を期待する気持をもつたとしても、これをもつて、直ちにはる子を川に入らせる時点においても被告人が殺意をいだいていたと断ずることはできない。けだし、同女が流されて行くのを見て、これを奇貨としてその死を願う気持になつたということも十分考えられるからである。

要するに、被告人の投石行為をもつて、はる子を川に入らせる際被告人が殺意をいだいていたことを推測するには、やはり疑問が多いとしなければならない。

(ニ)  なお、仮りに投石時に被告人にはる子の死を期待する気持があり、これが殺意と言える程度のものであるとしても、被告人が投石したとき、はる子は既におぼれつつあつたのであつて、投石行為と同女の死との間には因果関係は認められない。また泳ぎのほとんどできない被告人にとつて、おぼれて流されてゆくはる子を救助することが容易にできたとは到底考えられないから、殺人の不真正不作為犯を考える余地もないものである。

(5)  自殺偽装工作等について

被告人は、はる子が水中に没した後、前記のとおり自殺偽装工作をしたり、渡辺らに口止めをしたりしている。このこともまた被告人が殺意をもつてはる子を川に入らせたのではないかと疑わせる一因になつているが、前科があり執行猶予中の被告人が自己が殺害したと疑われることをおそれて右のような行為に出でたと述べるところも納得できないわけではなく、右偽装工作等の存在もまた被告人の殺害行為を推測させるに足りない。

(6)  被告人の供述調書中の記載について

被告人の同年五月二七日付司法警察員に対する供述調書には「みどりが川に入つて行けば深みにはまつたり、足をさらわれたりして流されてしまい、死んでしまうことが考えられたのですが、どうなつてもかまわないという気持だつたのです」との記載があるが、右供述記載は右供述調書中の他の部分やその余の被告人の供述調書の供述内容に照らして幾分不自然で捜査官の作文的な感じがうかがわれないでもなく、既に検討したはる子の入水時における被告人の言動等に照らすと、右供述記載をもつて被告人が未必的にでも殺意を認めた趣旨の供述の記載と解するのは困難であつて、右供述調書の記載をもつて直ちに被告人の殺意を認めることはできない。

(7)  以上本件発生時およびその前後の被告人の言動等を種々検討したが、被告人がはる子を殺意をもつて川に入らせ死に至したと認定するに足るような事実はみあたらず、他に右の事実を認めるべき証拠もない。

ただ当裁判所としては、被告人が右のようにはる子が流れて行くのを見て、自分が泳ぎができないし、渡辺も助けてくれなかつたとすれば被告人が右の原因を作つたのであるから他にはる子を救助するにつき何等かの方途を講ずべきなのにあえてこれをしなかつた点は、右投石行為や自殺偽装工作と共にこれだけでは殺意認定の資料としがたいが本件につき被告人に対する非難もこの点に大いに存するものと思料する次第である。

五、以上のとおり被告人が殺意をもつてはる子を利根川に入らせ殺害したとの事実はこれを認めるに足りる証拠がなく、結局本件公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をすることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

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